静岡県浜松市の「たけし文化センター」にうかがった。秋に何やら「HYO-GEN MIMONTH~表現未満を体感する50日間!!!~」というアートイベントをやるらしく、話を聞きに行ったのだ。たけし文化センターは、運営する認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ理事長・久保田翠さんの息子さんで、重度の知的障害があるたけし君という個人を全面的に肯定することを出発点にコンセプトを作り上げた公共文化施設。福祉の場と個人の表現の場が融合した活動が、アート業界でも注目を集めて久しい。まったりくつろぐ人、ひたすら何かに没頭する人、大きな声を出し続ける人など、あれこれしたり、何もしなかったり。スタッフの皆さんもオープンだが必要以上に関与するわけでもない。そんな自由な空間が居心地がいい。さて、たけし文化センターなどを舞台に行われる「HYO-GEN MIMONTH~表現未満を体感する50日間!!!~」とは何か。久保田翠理事長に聞いた。
――「HYO-GEN MIMONTH~表現未満を体感する50日間!!!~」は、音楽の祭典、イベントやトーク、上映会、シンポジウムなどの盛りだくさんの内容です。
久保田 ふふふ。違うんですよ。私たち祝祭性みたいなことがどうしてもできない。いろいろイベントをやっても日常に根付いているものを丁寧に丁寧に探していくことが大事だという考えに戻っていくので、そのときだけ誰かと何かをするということにはなって行かないんです。
――ということは?
久保田 私たちは障害を持つ人たちの面白さ、存在をどう社会化していくかということにしか興味がないんです。たしかに手を替え品を替えいろいろ文化事業をやってきました。でもオリンピックが契機になって、障害のある人たちが何か面白そうなことをやっているということで世の中から発見されたという感覚です。このイベントのきっかけは、2015年に日比野克彦さんが監修した「TURN(ターン)」というアートプロジェクト。明確に呼ばれたのかもわからなかったんだけど、行きますと言ったんです(笑)。異なる背景を持った人びとがかかわり合い、さまざまな「個」の出会いと表現を生み出すというコンセプトで、会場は東京都美術館でしたが、美術館に作品を展示したところで何が面白いのかと、そんなに期待していなかったんです。またそもそも美術館って、たけしたちは入れない場所です。だったら普通では絶対やれないことをやろうと、ただただアルス・ノヴァを移動しただけなんです。
――施設での日常を見せるということですか?
久保田 はい。利用者とスタッフ35人でバスを連ねて1泊で出かけたんです。懇意にしているアーティストの中垣徹さんが場を作ってくれて、箱みたいな部屋にここにあるものをガサガサ持っていて、明らかにアルス・ノヴァという空間を作りました。お客さんはドアを開けて入ってくるんですけど、部屋は散らかっているし、ワーワー騒いでいる人やドラム叩いている人はいるし、というカオスな空間をいきなり体験していただくんです。それが自分たちも面白かった。それで2016年に浜松市内のビルの2階を借りて、入野地区にある「のヴぁ公民館」という施設の荷物を丸ごと移して、36日間、『「表現未満、」実験室』という企画を実施しました。やってみると、アート的な意味だけでなく、福祉的な意味を強く感じました。
ここで、簡単だが、クリエイティブサポートレッツ、たけし文化センターの背景について紹介しておいたほうがいいだろう。
久保田さんは大学で建築、大学院で環境デザインを学んだ。その間に男女雇用機会均等法が施行されたこともあり、一生仕事をしていこうと妹さんと一緒に会社を立ち上げ、まちづくりのコンサルティングや街並みや公共施設の景観デザインなどの仕事に携わっていた。縁があって結婚もし、1年後に長女が生まれ、料理人だった旦那さんが自分のお店を出すことになって浜松に引っ越すことに。そこで2番目の子、たけし君が生まれるのだが、重度の知的障害を背負っていた。いろいろ悩み、苦しむ中から「障害や国籍、性差、年齢などあらゆる『ちがい』を乗り越えて人間が本来もっている『生きる力』『自分を表現する力』を見つめていく場を提供し、 様々な表現活動を実現するための事業を行い、全ての人々が互いに理解し、分かち合い、共生することのできる社会づくり」を行うクリエイティブサポートレッツを立ち上げる。
久保田 障害はあっても息子はかわいいし、じっくり育てる楽しさもありました。その一方で自分が社会から消されたような焦燥感や孤立感にさいなまれて。なかなか仕事に復帰できない状況はいつも心にモヤモヤがありました。私がそれまで生きてきたのは、男女雇用均等法もでき、女性もどんどんキャリアを積んで行こうとする社会。それが障害のある子供を持った母親になった途端、住んでいる世界が変わってしまった。レッツもここまでやってきましたが一朝一夕でできたわけではなく、たけしと私、家族のさまざまな葛藤が全部プロジェクトになってきたんです。その時その時で必要と思われるものが世の中にないから、自分たちで作ってきただけなんです。ただ私は芸術大学出身で、福祉はあまりにも文化が違いすぎて、福祉の人が「良い」ということが本当にわからなかった。だからちょっと変わった福祉施設になったんだと思います。と言いつつも、大学での専攻はデザインだったので、作品を作っている人たちの行為をよくわからないという目で見ていました。生まれた以上は何か世の中の役に立たなければいけない、そういう刷り込みが自分にあったんだと思う。けれど目の前に現れた息子がそこから全然逸脱した人だったから、存在そのものからすべて問い直しですよね。それは母として自分の子供を否定したくなかったんだと思う。
――たけしくんの行動を「アート」「表現」として捉えるには時間がかかりませんでしたか?
久保田 そんなの待ったなしですよ。だって1、2歳のころから便で遊ぶんだから。いくら叱っても治らない。小学校4年生のころからツナギを着ているんですけど、それは手が入らないようにするため。オシャレでもなんでもない。先生をつけてトイレトレーニングをし続けた。だからツナギを着せることを決めた時は、敗北感や絶望感ばかりで死にたいとも思いました。でも私が死ぬということは彼と心中するということ。その時にふと便コネをダメだと思っているのは誰なのかなと思ったら、私だった。本人は全然嫌じゃないんです。じゃあ便が汚いとか誰が決めたんだと。いろんな人からスカトロジーという学問があること、おしっこを飲む文化のことを聞いたり学んだりすると、私たちが信じている価値観って意外に根拠がないもんなんだなって思えた。そのころから考えのすり替えを始めたんです。
――実は久保田さん自身が最初に価値観を揺さぶられたんですね。
久保田 そうなんです。また、たけしは容れ物に石を入れて鳴らし続ける行為も1日も休まずにやるんです。私は問題行動とは思わなかったけど、学校の先生といくら話しても鳴らしているうちは入れられませんと言われ続けた。学校では20分訓練して10分石遊びができるみたいなメニューがずっと組まれているのを見ると本当に切なくなりました。だから石遊びができる施設を作ろうと思ったわけです。アーティストが二人かかわってくれて、たけし文化センターというコンセプトができて、好きなことだけをやる、やりたいことだけやるという施設を作ったんです。利用者のお母さん方からもいろいろ言われましたけど、「いえ、やりません」と突っぱねていましたね。
――そこからいろいろなプロジェクトが行われているんですね。
久保田 でもうちなんかは絵も描かない、作品も作らないみたいなことをやってしまうから、余計わからなくさせているのかも。私はアートが生活に根ざしたところにあるものであってほしいんです。もし術があるとしたら、それを学ぶことで少しだけかもしれないけれど生きるのが楽になることがあると思うんです。それは自分が体験してきたことであり、伝えたいんですよ。そして障害のある人はまだまだ圧倒的に社会から隔絶されているし、奇異なものだと思われている。それをひっくり返すにはどうしたらいいんだろう、価値観を変えるにはどうしたらいいだろうということばかり考えています。難しいのはわかっているんだけど、だからこそアートに期待しているんです。私は社会の価値観を変えるのがアートだったりアーティストだと思うんです。でもアート自体がものすごくわかりずらいものだから、多くの人が理解を示してくれることはないと覚悟は決めています。だから変わった活動をとにかくやり続けていれば何かにはなるかなって。
久保田さんの話はたけし君のこと、福祉のこと、美術のことを行き来する。それは螺旋のように強く絡み合い、一つの側面からでは語りつくせないことだから。久保田さんはレッツのテーマである「障害のある人を含めた、人と人とのつながりの再構築」をアートを通して実現してけるのではと浜松アートフォーラムを主催する。また浜松警察署や浜松市社会福祉会館として使われた建物が老朽化で壊されそうになった時に、ここをアートセンターにという市民運動も起こした。鴨江アートセンターに「福祉施設を入れて欲しい」という念願は通らなかったが、先のたけし文化センターのコンセプトにつながっていく。「HYO-GEN MIMONTH~表現未満を体感する50日間!!!~」の話に戻ろう。
久保田 うちは何もやってないと言えばやってないんですけど、やってないことを周りに知ってもらうためにはどうしたらいいか考えて、彼らがただここで過ごしている姿をお見せしようと観光事業や美術館での展示みたいなことをやるわけです。ちんちんポロリみたいなことも起きてしまうんですけど、それも含めて見せる。そして「あなたと同じ時間にこの人たちは生きているんですよ、あなたはどう受け取りますか」という問い掛けだけをする。そして一緒に考えてほしいんです。それが許されるのがアートだと思うから。
――レッツさんが運営されている施設が興味深いのは、街に開かれている空間であること、
誰でも気軽に訪れることができることです。
久保田 私たちの団体は2000年から始まっていますが、ずっと拠点を街中に作りたかったんです。私が都市デザインをやっていたこともあるのかもしれませんが、障害者施設が郊外にばかりあることが許せなくて。重度の知的障害のある人たちが中心市街地にいることで、トラブルも含めて、行き交うその姿を通して街にさまざまな影響を与えていけるのではないか、障害のある人のありのままの姿が人びとの人生観を変えていくのではないかと考えています。2009年に場を持った時は、お金もかかったんですけど、理解が得られなかった。街中にたけし文化センターBUNSENDOを作ってみたんです。だけど、どうしても「やりたいのはアートですか、福祉ですか」と切り分けられてしまう。アート的なイベントをやると福祉関係の人は来なくて、福祉的なイベントをやるとアート関係の人は来ない、そして両方から怒られてしまう。この二つを合わせられないかずっと悩んでいたんですよ。それでたけし文化センターのコンセプトができた2010年に、とりあえずやってみようと障害福祉施設アルス・ノヴァを始めました。その時は自信がないから街中でアート、入野で福祉というふうに別々に。けれどたけし文化センターも浜松では認知されてきたことで、これなら一緒にできると3年で閉めて入野に持っていったんですよ。
――そして、街中に念願だった、たけし文化センター連尺町が昨年でき上がったのですね。
久保田 都美館でのイベントを経て『表現未満』を始めたのが2016年で、2017年に文化庁の芸術選奨をいただいたんですよ。それは本当にびっくりしました、こういう活動も芸術として認めてくれるんだと。それで日本財団に強くプレゼンしたところ、図書館、カフェ、ゲストハウス、シェアハウス、音楽スタジオ、障害福祉施設を併設した3階建てのビルを建てることになりました。それがここです。うれしかったけど、実は今年夫が亡くなったんです。やっぱり家族は大変。とにかく過酷です。たけしの障害は重すぎてどこにも預かってもらえない。だからアルス・ノヴァがない日曜日は全部二人で見ていました。放っておくとぐるぐる徘徊みたいなことをするから、当てのないドライブを8時間くらいするんです。夫は体調を崩していたし、さらに疲弊してしまったんですね。
――それは悲しいですね。
久保田 私、自分でも嫌になってしまうんですけど、グループホームも訪問施設もあるのに入れられないんです。もちろん彼は入れないんだけど嫌なんですよ。学校の先生に感じたのと同じ違和感があって。でも家族だけでは無理なので、このビルの3階に居住スペースを作ったんです。息子は浜松では重度訪問介護の知的障害第1号。その制度を実験しています。たけしだけが今ここに住んでいて、他の事業所のヘルパーさんが入れ替わり立ち替わり24時間やってくるんです。私と会ってしまうと帰りたくなってしまうので、顔を合わせないようにしています。でも介助する人と二人だけの生活になってしまうのも怖いんですよね。それでここにはゲストハウスが付いているんです。今はフィールドワークを兼ねた学生さんが住んでくれている。他者を入れて風通しを良くすることで住めるかどうか。これは行政にも言い続けたけど、拠点ができたことでやっと、やっと話を聞いてくれた。もちろん入所施設にも短期ステイがあって時々入れてもらえるんです。ただ1カ月に1度通うところなんて、本人にとっては不安でしかない。それに普段は自由なところで生活しているから、あれやっちゃいけない、これやっちゃいけないという施設では無理ですよね。私が一番大切にしてきたことを取り上げてしまうことになってしまう。私が幸せになり、たけしが幸せになることを考えると、やっぱり自分で作るしかない。開拓したくて開拓しているんじゃなくて、ないからやっているんです。
――改めて『HYO-GEN MIMONTH~表現未満を体感する50日間!!!~』について教えてください。 久保田 この建物が2018年の11月1日にできて、今年の3月に『「表現未満、」展覧会 レッツ観光局』をやりました。そして今回です。うちは私の考えだけでなく、スタッフ全員で話すんですよ。自分たちがやっている日常みたいなものを、そもそも文化祭みたいな形で見せるのはどうなのという話になりました。前回はむしろいろんなメニューを作ったんです。でも今年はそういうのをやらない。ただただ日常が連なっていくだけ。そこに大切さがあるんでしょうね、ここの施設は。だから日程を長くして3日間だけ文化祭みたいな時があるんですけど、実質は何もしないんですよ。その期間はお客さんも多いから、どうぞどうぞとはやるんですけど。これ、うちの伝統なんですけど、利用者さんが好きなことをやっているから、スタッフも苦しいのを我慢するのはおかしいという考え方なんです。スタッフもお互いのことをリスペクトはしているから手伝うけれど、我慢してまではやらない。スタッフが楽しめないことは利用者さんも楽しくないでしょという議論になるんです(笑)。
――『表現未満』プロジェクトによる成果、変化は何かありますか?
久保田 意外に福祉の仲間ができてきました。絵や音楽を作っている時の方が距離があった。「しえんかいぎ」という企画があります。これなど福祉の人には響くんですよ。福祉施設では支援会議を定期的にやるんです。それはどちらかと言えば問題解決型。「しえんかいぎ」は、例えばテーマはO君がどうしても電化製品屋さんに行ってしまい、そこで固まってしまうと。内容は同じなんだけど、解決を目指さないんです。なぜ固まるのか、固まるってなんなのか、固まって迷惑を感じるのは誰か、そういう話をひたすらする。「支援会議」も答えなんか見えない。利用者も答えが見えない人ばかりがやってくる。どう対応していいのか、現場は困り果てるわけですよ。「しえんかいぎ」では答えはないけれど、「あ、これでもいいんだ」と思えることに共感してくれる。だから最近レッツはアートだよねと言われなくなりました。ヘンな施設だとは思われているけど、意外にまともに福祉をやっているんだねと言われます。福祉の勉強をしている人が誰もおらず、免許もろくに持っていない人ばかりの施設ですが、そこから学んでくださることも増えています。でも私、なんだかん福祉の人は信用できるんです。みんな障害ある人のことが大好きだから。アール・ブリュット系のことをやっている施設でも、彼らをすごく好きで、たまたまその先に作品があったみたいな姿勢なんです。
私たちも文化庁から助成金をもらっています。でもそれがなければやっていかれないわけではないから忖度はしない。もちろん厚労省からの助成金も税金です。でも文化とは違って福祉は人が生きるか死ぬかの現場だから、減らすことはあっても切られることはないでしょう。もし切ったらみんなで怒りまくる。そういう意味では迎合しなくて済むのはありがたい。だからこそ福祉施設はアート関係者よりもやれることがいっぱいあると思うし、もっといろんなことをやらないといけないと思うんです。
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